ホーチミンのフランス統治時代の古地図がかわいすぎ

ホーチミンのフランス統治時代の古地図がかわいすぎ

宝地図っていいですよね!

中世ヨーロッパでヴァイキングが略奪を繰り返していた時代、全くの偽物の宝地図も数多くあったそうで、本物は全体の5%程度に満たなかったそうです嘘です。

 

と、今回は、宝地図ではないけれど、見る人によってはそれ自体が宝のような地図の話。

 

Saigoneer | Exploring Saigon and Beyond – Colorful Old Map of Saigon

 

10/09、ホーチミン市をテーマに情報を発信しているサイト・”Saigoneer“(記述は英語のみ)で「Colorful Old Map of Saigon」というタイトルのエントリーが投稿されました。記事では、1954年以前と思われるサイゴン市(現・ホーチミン市)の地図を紹介しています。

 

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記事で書かれている文章を翻訳したものがこちら。

 

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私達はこの地図の正確な日付を特定することはできませんが、これが1954年以前のものだと確信しています。それは、ジュネーブ協定に従い、フランスがサイゴンと南ベトナムの統治権を割譲された年でした。ジエム政権が誕生したとき、彼らは(地区や通りの)フランス式名称をベトナム式名称に切り替えています。

いつの時代のものであれ、これはかなり甘い(可愛らしい)マップです。

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パッと見だとシムシティっぽいこちらの地図ですが、よくよく見ると今のホーチミン市とのあらゆる違いを発見出来ます。この60年間でサイゴンはどのように変わったのか、友人の協力も受けて調べてみました。

 

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路面電車が走っている。

ベトナム戦争の終戦後に南北が統一される頃まで、サイゴン市内では路面電車が走っていたそうです。

 

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今の『9月23日公園』が全てサイゴン駅。

現在、Le LaiとPham Ngu Laoに挟まれた『9月23日公園』が丸々サイゴン駅になっています。
あの公園が細長いことには、そのような背景があったんですね。

 

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Dinh Tien Hoang~Ton Duc Thangが人文大学の敷地の箇所で今はつながっているが、このときは塞がっている。

いつも何故途中で通りの名前が変わるんだろう?と思っていましたが、元々は二つの通りだったようです。
なお、間に建てられている建物は、『フランス軍の兵舎ではないか?』とのこと。

 

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“Chợ Cũ”(オールド・マーケット)と呼ばれている地域が(実際に市場もある)、当時から”Vieux Marche”(フランス語で『オールド・マーケット』)と呼ばれている。

ここには、かつてベンタイン市場があったそうです。というか、今のベンタイン市場に先代があったんですね。
ちなみにこの近くにあるFinancial Towerは財務局の建物だそうです。だからFinancialっていうの…か?

 

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現在の1区からBinh Thanh区に入った辺りの川があるが、現在は埋め立てられている。

 

だからよく冠水するのか!私の帰宅ルートなのでよく分かります。

 

如何でしょうか。

面白いですね、いや面白すぎます。

ホーチミン市に住んでいて、ある程度地理も覚えている人間からすると、『ここってああなってたんだ!』『ここってまだ無かったの!?』という驚きが散りばめられています。あまりに自然過ぎて触れていなかったですが、60年前時点では3区の北半分くらいからほぼ都市開発がされていないという点も興味深いです。

今回紹介した点以外にも、まだまだ発見が隠されているかもしれません。拡大版画像は、紹介した引用元から見ることもダウンロードすることも出来ます。 ご協力いただいたろうちょん氏 、有難うございました。

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